SNSについて今考えていることと、最近の仕事まとめ

最近の季節感はよくわかりません。

SNSの使い方について考えていること

ここ半年ほど仕事が詰まり気味で、自分のSNSで何をやったかをあんまり告知していませんでした。これまでFacebookで仕事告知などをしていたりしたのですが、以下のような理由であまり意味がないかなーと思うようになりました。

【1】Facebookに投稿するだけでは流れていってしまい、Google検索などにインデックスされない(ブログでこうやってエントリを書く場合はちゃんとGoogle先生がインデックスしてくれます)。
【2】僕のソーシャルグラフは出版系・ネット系ばかりではないのですが、僕は個人のアカウントで告知できる仕事が非常に多いです(自慢ではなく、単にそういうものなのでしょうがないです)。一方で、普通の勤め人は個人で告知できるような仕事は多くないと思うので、そういう人のことを考えると、自分が告知ばっかりするのは自慢しているみたいで気が引けるなぁと思います。
【3】Facebookは学校歴とかのリアルの人間関係に紐付いているわけですが、あいにく僕はこれまでリアルの人間関係で「カルチャーやオタク的なものが好きであること」を表明はしてこなかったですし、文化系サークル的なコミュニティではなくコンサバなコミュニティ(野球部だとか大学だとか)に属してきたため、リアル知人はコンサバな企業に勤めてるエリートもしくはマイルドヤンキーサラリーマン的な人が多く、そういう人に向けて「こんなオルタナティブ(←なんだそれ)な仕事しましたよ〜」という告知をするというのは、なんか食い合わせが悪いなぁとか思います。その人たちみんなに知ってほしい/褒めてほしいわけではないですし、読んでくれる人が読んでくれればいいかなぐらいに思っているので。

SNSを楽しく、かつ自分や他の人にもちゃんとメリットがあるように使うのは難しいですね。
ツイッターはわりと自由にダラダラと投稿できますが、Facebookは何か他人の目を気にしなければいけない感じがあります。たとえば、長文を投稿する際、ツイッターは深夜とかに連続でぶつぶつ呟いていればいいですが、Facebookに長文書くとなんかガチ感があって引かれる感じ、と言えばいいでしょうか。

僕のやっていることというのは、いろんな文脈をしっかりと説明した上で、ちょっと難しいこと、人がふだんあんまり考えないようなことを書く/そういう情報を世に出す、というものです。常識とは違う情報を作らなければ価値が出ません。なので、常識=世間=同調圧力の強い場で理解してもらうには一定の文字数を必要とします。

で、Facebookはそもそもそういう情報発信の場には向かないのかなぁと思います。どういうことかというと、日本のFacebook空間では「結婚や子どもの出産のようなライフイベント」「きれいな景色、美味しそうな食べ物」「旅行に行ってきた、楽しかった」のような「いいね!」という感情の共有をするもの、という暗黙のルールができあがってしまっているのではないかなと。本当は、それ以外の使い方もできる(たとえば市井の人が自分の考えをきちんと表明する、いわゆる「公共圏(※1)」的な使い方など)のですが、日本では色んな経緯があって今のようになっています。

そういう場では、感情の共有が重要なので、時間と労力がかかる「思考」を強制するようなものは好まれないのではないかと思います(※2)。なので、Facebookに長文の投稿は向かないな、というのが僕の結論です。

(※1)公共圏:ドイツの哲学者ユルゲン・ハーバーマスらが提唱した概念。「自由な市民が対等な立場で議論し、社会を動かす世論を形成していく場」という定義があります(参照:ソーシャルメディアで今後重要なキーワードは「公共圏」)。日本のSNSで、一般市民が何かもっともらしい意見を表明すると「素人で有名でもなんでもない奴の意見なんて読みたくない」という声が時折聞かれますが、専門家ではない一般市民が意見を表明することが社会全体に馴染まないかぎりは、本当に民主主義が実現されたとはいえません。そういった意味で「素人が気軽に意見表明できる」ということを尊重するというのが、ネット/情報発信/公共性というものを考える上での基本になります。
(※2)このあたりの話は、「ミルクカフェ」や「nanapi」などのウェブサービスを手掛けてきたけんすう氏の連載を読んで色々言語化することができました。この記事はネット上でも現在大ヒット中なので、興味があったらぜひ読んでみてください。
なぜTwitterは日本における最強の投稿サービスなのかを考察してみる/古川健介|PLANETS|note

ネオブログ的なサービスが浮上する兆し

まあ、けんすう氏の記事にもあるとおり、SNSを気軽に使うのであればツイッターが一番です。「ツイッターにはクソリプ飛ばしてくる変な奴らがいっぱいいる」という話もありますが、趣味の友達とか好きなクリエイターとかパフォーマーとか、そういう人たちの投稿だけを見るようにしていれば実に平和なSNSだと思います。

ただ、ツイッターで長文を書くのはやはり細切れになってしまいますし、情報がひとまとまりにならずに流れていってしまうことにも不便さを感じる人が多くなってしまっています。
したがって今のネットサービスではブログ的なものが、最初のブーム(2004年頃、ライブドアブログとかmixi日記とかが流行り始めた頃でしょうか)とは違う意味で浮上しつつあるのではないかと思います。

ブログを更新するということは、「更新しました」と告知するにしてもSNSでは一言で済みます。SNSの空気を乱すことなく告知だけができて、しかも「提示されているリンクをクリックする」というのは読む人次第で、クリックした人は「長文を読まされる」覚悟は持ってきてくれるわけです。その意味で、単純に情報のフローはSNSで、ストックはブログ他の類似サービスで、というかたちが定着していく気配があります。

そういったネオブログ的なサービスとしてはTumblrがありましたがこれは日本ではあまり流行りませんでした。そんななかで最初に日本で注目を集めたのはnoteで、最近ではLINE BLOGなどでしょう。LINE BLOGは入力がスマホでしかできないのですが、これは従来のブログサービスがいろんな機能を実装し、長文化した結果としてユーザーの側に「更新する際には気合入れて書かなければいけない」という思い込みが生まれてしまい、更新頻度が下がったからこそ、「スマホでしか入力できない」というかたちで「敷居が低いよ」「文字数は少なくていいよ」「デザインに凝らなくていいよ」というメッセージを出しているのだと思います。
また、海外ではMediumというサービスが人気を得ているようです。これはツイッターの共同創業者であるエヴァン・ウィリアムズ氏が2012年に起ち上げたサービスです。ただこれも、日本で流行るかどうかはわかりません。

ただ、現状のネット世界ではGoogle検索のパワーがまだまだ超強力であり、このブログのように独自ドメイン(Wordpressというコンテンツマネージメントシステムを使っています)でやっているものはGoogle検索に非常に強いので、僕個人は当面は、長文を書きたいときはこのブログでひっそりとやろうかなと思います。

最近の仕事告知

前置きでSNSについて今考えていることを書こうと思ったら、思いのほか長文になってしまいました。
ここ最近ネット上の自分のアカウントで告知することをサボっていた、最近やっている仕事について書こうと思います。
まず自分が書いたものからいきます。

地理と文化と野球の関係(「文化系のための野球入門――ギークカルチャーとしての平成野球史」vol.4)
謎の野球連載、4回目です。まあ野球についての知識は本当に人によって千差万別なので、そのズレ自体の原因のひとつを地域性に求めて書いてみた、という感じです。正直自分のなかでもまだまだだなとは思うのですが、似たことをやっている人はいないので独自性はそれなりにあるのではないかなと思います。

「差別」から生まれた自由空間としての戦前プロ野球――『洲崎球場のポール際』著者・森田創インタビュー(前編)
これはインタビュアーと記事執筆をやっています。ノンフィクション作家の森田創さんとの対話です。この記事は非常に好評でした。野球がテーマに見えますが、都市論とメディア論、戦前〜戦後にかけての社会構造の変遷などについて総合的に話しています。
僕はインタビュアーの分を超えて自分の意見をガンガン喋っていますが、自分より一回り歳上の森田さんが快くそれに応答してくださって、良い記事になったのではないかと思います。
3回連続の記事になっていて、こちらが中編後編です。

他にも自分が書くのはけっこうやっているんですが、あんまり公にできないものなのでそちらは省略し、編集を担当している記事の紹介にいきます。

アニメが描く「青春」の現在――『心が叫びたがってるんだ。』と『君の名は。』(『石岡良治の現代アニメ史講義』10年代、深夜アニメ表現の広がり(6))
批評家の石岡良治さんの連載『現代アニメ史』は、この回では『心が叫びたがってるんだ。(以下ここさけ)』『君の名は。』という最近ヒットした劇場アニメを扱っています。石岡さんは『ここさけ』をけっこう推しているんですね(わかります)。
『現代アニメ史』はまだまだ続いていて、以下の2本が公開されています。
20世紀のロボットアニメを概観する(『石岡良治の現代アニメ史講義』第5章 今世紀のロボットアニメ(1))
前世紀ロボットアニメを支えた「ホビー」としてのプレイアビリティ(『石岡良治の現代アニメ史講義』第5章 今世紀のロボットアニメ(2))

「ヴィジュアル系」の過去・現在・未来を考える連載『すべての道はV系に通ず』も(一応)担当しています。最初、順調に走り出すまでは僕もちょっとだけ頑張りましたが、今はもうスピードに乗っているので藤谷さんが頑張って書いてくれています。まだ90年代後半ですが、ここからがんがん現代に向かって走っていくはずです。

プロデューサーの役割は〈こども電話相談室のおじさん〉である――90年代V系全盛期を支えた裏方たち(市川哲史×藤谷千明『すべての道はV系に通ず』第6回)
愛すべき(?)ヤマ師の世界――V系シーンを育てたマネジメント(市川哲史×藤谷千明『すべての道はV系に通ず』第7回)

他にも、いろいろと仕事を進めており、ネット記事ではないものもたくさんあります。
また溜まってきたら告知したいと思います。
あと、ここ最近で今更『真田丸』にものすごいハマってしまいました。なので、時間があれば「『真田丸』はなぜ面白かったのか」みたいな記事も書きたいなと思っています。

(おわり)

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