書評:『合コンの社会学』(著:北村文・阿部真大、光文社新書、2007年)

北村文・阿部真大『合コンの社会学』|Amazon.co.jp

「合コン」をキーワードに、現代の若者世代の恋愛と結婚について社会学的に考察した著作。合コンに参加経験のある20代男女のインタビューが素材となっている。

社会学の研究には、統計やアンケートなどによる「量的調査」と、インタビューや面接・参与観察などの「質的調査」の2種類があるが、この『合コンの社会学』で用いられている手法はもっぱら後者である。
ここでは、現代の若い男女の出会いについて、いくつかの論点が提起されている。 まず、社会的階層が違いすぎると(たとえばフリーターと弁護士など)、多くの合コンは不成功に終わる。そのため男女双方ともに、メンバーの社会階層が違いすぎないよう気を遣う。しかし一方で、経済的・社会的地位にあからさまにこだわる振る舞いも、「その場の楽しさ」が必要不可欠な合コンにおいてはNGとされる。ここに、「合コンでの男女の出会い」の困難がある。

また合コンでは「気が利く男性」「かわいらしい女性」といったイメージが重視され、その人自身の普段の振る舞いには関係なく、期待されるジェンダー役割を演じなければならない。その結果、合コンでの振舞いが虚構的なものになり、いざ男女が付き合う段階になると合コン時のイメージと素のパーソナリティとのギャップに苦しむ可能性が高くなってしまうという。

さて、同書で繰り返し強調されるのが、「現代の恋愛と結婚には『運命の出会い』というキーワードが必要不可欠である」ということだ。

「現代の私たちは、この合コンという奇妙な装置のおかげで、きわめて直接的なお見合いとも、無味乾燥な職場結婚とも違う、ドラマティックな出逢いを手に入れた。と同時に、あいまいな着地点を目指して戦い続けなければならなくなった。偶然や突然にこだわるあまり、今では理想それ自体がぼやけてしまっている」(136頁)

経済・社会的地位に関係なく、個人の欲望や情動だけで成立する関係が「ロマンティック・ラブ(情熱恋愛)」である。このロマンティック・ラブ幻想が強固に信じられているからこそ、親や上司などを介し「結婚を前提」にした「現実的」な付き合いは回避される。 自分が愛情を感じている場合でも、運命だと思えないかぎり決断できない。と同時に、ある種の計算高さが忌避されることはもはや前提である。こうして、ロマンティック・ラブ幻想は、結婚自体を遠ざけるように作用する。

現代の若い世代に特有の恋愛・結婚の特徴についても言及されている。補論「合コン時代の仕事と恋愛――自由と安定のはざまで」から引いてみよう。

「いつ夫がリストラされるかわからない。そうした不安は、リストラされても好きでいられる人と結婚することでしか解消されない。それは男の側も同じである。自分がリストラされたからといって自分のもとを去っていくような女性とは結婚できない。不安定な世の中を生き抜いていくためには、二人の関係は代替不可能なものでなくてはならない。(略)彼らの過剰な物語への志向は、グローバライゼーションの波のなか、ますます流動的(liquid)になる社会で、少しでも堅固(solid)なものを求めようとする心性の現われでもある」(182-183頁)

若者世代の恋愛における「運命の物語」の希求は、「経済・社会的な流動性の増大」を反映したものと捉えることも重要な意味をもつものだ。著者の一人である阿部真大は、『搾取される若者たち』(集英社新書、2006年)において、ひどい労働状況に置かれながらも「好きな仕事」(バイク便ライダー)にのめり込む若者たちの状況を、「未来の不透明感という社会的要因から帰結された彼らの生きる知恵である」と分析した。若者世代の恋愛・結婚観も同じロジックで導き出されたものなのだろう。「仕事」においても「恋愛」においても、若者たちが直面する困難はともに、現代における「流動性の増大」という観点から捉えることが重要なのかもしれない。

※なお、『合コンの社会学』においては、安野モヨコの漫画作品『ハッピー・マニア』(1995年~)が「純愛の物語」の希求の例として挙げられている。主人公の重田加代子は「運命の出逢い」を求めて様々な男を渡り歩くのだが、その「運命の出逢い」の際の高揚感と、バイク便ライダーの高揚感は、ともに不透明な社会における不安感のなかで、若者たちが何とかして生きていこうとするなかで生み出された生存戦略である、とされている。


安野 モヨコ ハッピー・マニア 1 (祥伝社コミック文庫) 文庫 – 2001/5/25

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